何かが急に舞い降りてきた。
『周りの目なんか気にするな。』
『オマエ自信が一番チャレンジしてみたい道に進めばいい。』
『ただし、妥協は許されない。』
『ただし、逃げは許されない。』
そんな声が聞こえてきたような感じ。
漠然と、一番やりたいことは何かを作って伝えることなんだとは思ってたけど、
それを「音楽だ」なんて恥ずかしくて周りには言えなかったワケで。
そんなこと言ったら絶対バカにされるし。
あたりさわりなく「マスコミ」とか言っといてそっちに進んで
雑誌の編集者かなんかになろう。
そう思っていたのに、急にフッと冷静になって。
「これってオレの人生だよな?」
「ってことは周りの目なんか気にして、オレは最後に納得いってるのか?」
「納得いってるとしても、もっと納得できる道があるんじゃないのか?」
「結局何をやるにしても、オレ自信がやりとげればイイんだ。」
本当に無心になったときに、勝手に足が進んだ方向にあったのが音楽を作る道。
音楽の道へ歩み始めた瞬間から、後ずさりすることを忘れた。
自分が"コレだ"って決めた道なのに、自分がしっかり歩かなくてどうする。
自分で決めたことを自分が否定したら、誰が自分を信じてくれるのか。
自分で自分を信じられなくなることが、オレにとって一番怖いことなんじゃないのか。
自分を信じてやる。
信じられない自分がいたら、信じられる自分になるように自分が頑張る。
その繰り返しで、ここ6年ぐらいやってきた。
結局自分のひとつひとつの行動を決めているのは自分で、
親や友人や他人を気にかけて、そこからある考えを導き出したしても、
それは決して他人のせいにはならない。
思ったり、考えたり、行動したりしてるのは他人ではなく結局自分だから。
だったら、、、
だったら自分が生きていく上でやるべきこと、一番やりたいこと、一番出来ることを
ただひたすらやればいいハズ。
途中で投げ出しては何の意味もない。
途中で投げ出さずに最後までやり遂げればいい。
いくらやり遂げても、もちろん人としての道を外れても意味がない。
本当に自分は正しい道に進んでいるのか?
そんな不安はいくらでも生まれてくる。
その不安を打ち消す方法はひとつしかない。
正しい道を進めばイイ。
道を"選ぶ"んじゃなく。
考えて選んでいたらいつまでも迷い続けてしまう。
本能に選ばせてひとつの道を決めたら、
あとは自分自身で、この道を自分にとって最も正しい道にしていけばいい。
自分自身で、自分をこの道にとって最も正しい自分にしていけばいい。
そういうカスタマイズ出来なかったら、結局何をしたって不安だし、いつまで経っても何も出来ない。
何かやっていても、自分にしっくりこない。
カスタマイズ出来ないとしても、それは自分のせい。
自分の努力次第なのに、努力を怠っているだけ。
自分の無意識下の、深層心理の"本能"が選んだ道なら、どんな努力だって苦しくない。
努力が苦しかったら、それは本当に自分がやりたいことじゃないのかもしれない。
自分にまったくやりたいことがないなんて、絶対にありえない。
お腹すいて、うまいメシを食って感動したら、その感動を何度も味わえるような仕事につけばいいし、
あまりに疲れて眠ったベッドが心地よかったら、もっと心地よいベッドを作る仕事につけばいい。
自分のやりたいことって、自分が接してきたものをヒントに絶対生まれてくる。
仮面ライダーに憧れて格闘家になったり、
松本零士の漫画に感動して宇宙飛行士になったり。
例えばオレが高校のときに、医者になろうなんて考えることは絶対にあり得なかった。
医者のありがたみにほとんど触れていなかったから。
オレは、音楽が生み出すなんとも表せないテンションの変化、、、
時に高揚感であったり、時に感動であったり、、、
アニメのオープニングのワクワク、映画のエンディングのせつなさ、
音楽単体でも、何か+音楽でも、音楽は心や精神になぜか直接変化をもたらす。
それが人の手で創れるのならば、
そういうものを自分でも作ってみたいと思ったからこういう道を選んだ。
最初はそれを自分で感じて自分を満たすために。
気付いたら、その感覚を他人にも味わってもらい他人を満たすために。
自分でやりたいことがたくさんあり過ぎたとしても、本当にやりたいものはひとつだけ。
頂点にあるのはひとつだけなはず。
まぁそういう人の場合はメインじゃなくてサブの道でも、
どの道に進んでも、とにかく後ずさりせずしっかり進むことが大事になってくるわけで。
道を決めて、自分に自信を持ったとき、とてつもない力が生まれる。
そして、その生まれた力を生かすも殺すも、自分次第。